8/6 深町純with金子飛鳥+岡佐和香@目黒BLUES ALLEY JAPAN(注目の新世代舞踏の舞姫=岡佐和香が、アーバン・コンテンポラリーの大御所=深町純のピアノと、円熟の極みにある金子飛鳥のヴァイオリンに挑む!)

深町純 with 金子飛鳥 featuring 岡佐和香 〜音楽+舞踏〜
2008年8月6日(水) 18:00開場 19:30〜 1stステージ  21:15〜 2ndステージ
BLUES ALLEY JAPAN (目黒) http://www.bluesalley.co.jp/

★出演: 

前売:テーブル席(指定) \5,000(税込み) 当日券は\500UP
ご予約:Blues Alley Japan 03-5496-4381

★解説:

岡さんと音楽

岡佐和香さんは舞踏派系のダンサーだと言ってよいのだと思う。舞踏派とはいったい何のことを言うのだろう。「舞踏」と書いてBUYOHではなくBUTOHと発音する。土方巽氏が創始者とされる暗黒舞踏団。そして彼の「肉体の叛乱」という1968年の公演に、大学生であった僕はたまたまピアニストとして参加した。このことは僕にとって大きな偶然(当時の僕は決してそうは思ってはいなかったのだが)だったと思える。なぜなら、ここから僕と舞踏との関係が始まるからだ。「舞踏」は僕にとって今でも奇妙な存在である。それは「舞踏」と音楽との関係のことだ。

多くの西洋の舞踏(ダンスやバレー)は音楽に合わせて体を動かす。つまりその振りは音楽とシンクロ(同期)している。音楽が激しくなれば動作も激しくなる。音楽に強いアクセントがあれば踊りにもアクセントがつく。そういった従来の舞踏がもっていた音楽との関係を「舞踏」は拒絶しているように思える。では、音楽とは無関係なのかといえば、これまた全く違うと言わざるを得ない。なぜなら、僕が一緒に仕事をした舞踏家たちは皆、音楽に対する注文が非常に厳しかったからだ。「舞踏」と即興との関係を僕はよく知らない。いや、「舞踏」とは全てが即興だというわけではないと思っているからだ。しかし多くの舞踏家はその即興性に注目されているのも事実だろう。岡さんも多くの即興的要素を彼女の踊りに持っている。どのような空間や状況でも彼女は屈託なく舞う。それは素晴らしいことだと僕は考えている。

僕は即興演奏をよくする。即興演奏を面白いとも思っている。即興演奏と、書かれた音楽を演奏することの違いを、問われたことがある。演奏家と聴衆は無関係ではない。つまり送り手と受け手という一方的なスタティックな関係から、即興演奏はそれをよりダイナミックな関係に変容している。聴衆のリアクションが演奏に直接的に関与しうるものが即興演奏だ。だから崇高な音楽ではないかもしれないが、しかし生き生きとした現実的な音楽だと言える。書かれた音楽を演奏することが、ある修練の結果を単に披露する傾向が強いことに比べて、即興演奏は冒険や勇気に満ちている。今まさに音楽を創っている、という実感がある。ステージで聴衆を前に苦悩するときもある。失敗もあるだろう。それら全てを詳らかにさらけだす、そういう演奏が即興演奏だと僕は思っている。音楽における失敗とは、いったい何なのかという音楽へのアンチテーゼを突きつけることこそ、即興演奏の真骨頂ではないだろうか。「舞踏」というものが即興性を強く持つ理由もまたそこにあると、僕は密かに考えている。

金子飛鳥と共演するのはどれほど久しぶりだろうか。僕にとって彼女のすばらしさは、なによりその身体表現だ。演奏している時の彼女の体の動きは、まさに舞踏そのものだと思う。もし音楽を形で表現するとしたら、それはきっとステージに立っている彼女の姿に似ているに違いない。(深町純