岡佐和香+清水一登の新シリーズに向けて

たぶん、有史以来の数千年の間、踊りと音楽は切っても切れない密接な関係にあった。踊りの現場にはいつも音楽家がいたし、音楽にとって踊りの身体表現は常にイマジネーションの源泉だった。しかし、それがついここ数十年の録音再生装置の普及から、いつのまにかすっかり協議別居のような状態になってしまっている。
 
そうして、いまや踊り手は音楽を気ままに「使う」ようになってしまった。一方、音楽家は音楽家で、踊りを添え物としか見ない。別居状態が続くうちに、いつしかお互いに言葉の通じない世界へと入り込んでしまったかのようだ。近年、あちこちで繰り返されている舞踏家とノイズ・ミュージックの共演が、その機能不全の謂いと見えるのはどういう皮肉だろう?
 
踊りと音楽が空間を共有し濃密な時間を生み出してゆくスリルを、もう一度取り戻したいと思う。しかし、この30年間別々の道を進んで距離が生じてしまった踊りと音楽が、もう一度オープンな状態で出会い、これからの新しい関係を築いて行くためには、何が必要なんだろうか?
 
岡佐和香は、大野一雄、中嶋夏などに師事した新世代の舞踏家だが、一般的な舞踏の暗黒スタイルに固着しない清新な踊りで注目されている。清水一登もまた、音楽業界を動かすスタイルに惑わされず、常に内なる音楽の発露を求めて独自の存在感を示している。それぞれの分野で、もっとも即興性に富んだパフォーマーとしても知られるこの両者に共通するのは、ストレートに観客に届く「生命の本質としての自由」とでもいう感覚だろうか。そうした資質から、このふたりにはライヴ・パフォーマンスの醍醐味を期待して裏切られることがない。
 
計画はない。戦略も無い。ただ、踊りが好きで好きで踊らずにいられないダンスバカと、音楽が好きで好きで音を出さずにはいられない音楽バカが出会ったとき、いったい何が生まれるのか? そんな気持ちでこの新シリーズを楽しみにしている。