Jethro Tullの刻印 by 足立宗亮(足立兄弟) リアル・タイム・ロック・シリーズ ライブ編

'72年、'74年に来日し、類いまれな公演を行った英国のロックバンド、ジェスロタル (以下タル;Jethro Tull)を、目撃、体験できた事を2008年現在50歳を数える私は、人生最高の幸運だったと思い返さずにはいられない。
その彼等の圧倒的なパフォーマンスは、決して追いつく事のない目標としながらも、当時、一中学生だった私に、音楽を創造するという、強烈な衝動を、一晩で植え付けた。どんな風にすれば、その晩の彼等を少しでも表現できるだろうか。今、目にする事のできる'70年代、英米から出た、綺羅、星のごときロックスターの映像は山ほどあるだろう。が、その音楽性と相まって、視覚的にも、全く他を寄せ付けない存在であった、彼等を収めた物は、驚くほど少ない。2時間を越えるほどの初来日公演の間、アンコールも含め、曲が途切れたのは2回だけ。曲間に織り込まれる寸劇や、意表をつく画期的な照明なども含めて、細部にまで行き渡った演出の施された、優秀な演劇さながらの舞台は、まばたきさえも、もどかしく、全てを視界に取り込みたい一心で、息を呑み、目を凝らし、呼吸さえまばらになるほどに観客を圧倒し、見える物、聴こえる音の全てを取り込もうとする人間の能力を超えて展開され、空気を支配した。
真夏にもかかわらず、襟を立てたトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、ハンチングを目深にかぶり、暗い舞台上を行き来する、複数の長髪の男達。ひっきりなしに舞台袖から袖へ歩き回り、立ち止まり、ある者はギターとベース用に、たった一台ずつ置かれたアンプの、赤いパイロットランプを、数十分もじっと動かずに見つめている。そして、開演時間、いつのまにか横一列に並んだ男達が、コートと帽子を同時に脱ぎ捨てると、音楽雑誌やレコードジャケットで飽かずに見つづけたタルの五人が現れたのだ。
彼等の中央、英国トラッドのような、チェック地の、燕尾服を思わせるシェイプを持つコートを羽織り、カールした髪に豊富なひげを蓄えて、眼光鋭く、最も目をひくのは、もちろん、ロック界にフルートと言う異色の楽器を持ち込んだ奇才、稀有な生ギター奏者であり、ヴォーカリスト、20世紀音楽界最高の作曲家の一人にして、表現者、最も偉大な詩人、本人も含めたJethro Tullという不世出の音楽集団のプロデューサー兼、ディレクター、イアンアンダーソン(Ian Anderson)であった。
The Beatles が、その壮大な実験をやっと終えた'60年代後半、クラプトンたちのCreamが、その短い絶頂期の終焉を迎え、Jimi HendrixとJim Morrisonが、恐ろしいほどの勢いで、短い命を燃やしながら、当時の最先端を行く音楽でありえた頃、早くも新しい着想と、研ぎ澄まされた感性、奇跡的な技術を携えたEmerson Lake & Palmer(エマーソン、レイクアンドパーマー), King Crimson(キングクリムゾン) , Yes(イエス)等が、次々に現れた英米に、新しいルネッサンスが、興ったことを歴史は知っている。
アンチヒロイックな偶像、浮浪者のアクアラングをテーマにした傑作、 Aqualungで、ピークを極めたかに見えたタルは、その歩をさらに進め、洗練を重ねたThick as a Brickを引っさげ、我々の前に姿を現した。呆気にとられ、騒然とする観客の前で、始まった、そのあまりに斬新な新曲の、たたみかけるようなリフに心を奪われていると、舞台の上に意味ありげに置いてある電話が鳴り響く。一斉に音が中断され、事も無げに受話器をとるイアン。すると、「ブライアンに呼び出しだ」と伝えた直後、バンドはカウントもなく一斉に演奏を再開。大歓声が起こる中、イアンは発情期の獣さながらの声をフルートに絡ませ、性行為そのものの喘ぎ声とアクションを見せたかと思うと、この世の物とも思われないほど美しい旋律を展開し、そのクライマックスで、咳き込む。まさに清濁併せ呑む比類ない表現者による、似た物すら見当たらない世界を、観客の目の当たりに展開する。美しく、淫らで、野蛮でいて、しかも洗練を極めている。
バロック期の音楽からブルース、ジャズを取り込んで、英国のフォーク、トラッドも強く匂いを放っている彼等の音楽だが、しかし、その上、何にも似ていない。曲や歌詞の題材さえ、かつて取り上げる人も居なかったようなアンチヒロイックな者。前作アクアラングでは肺病病みの浮浪者が、その呼吸音からアクアラングと呼ばれ、寒寒とした路上に、落ちたタバコの吸殻を身体を折り曲げては拾い、駅のプラットフォームで人ごみに押され、踊るように転び、街では老人と間違われ、困惑しながらも救世軍の施しを受け、公園で遊ぶ、幼い少女に物欲しげで淫猥な視線を向ける。精液の生臭さ、見世物小屋の怪しさを、まるで、愛でるかのように表現する。Crosseyed Mary(やぶにらみのマリー)や、Mother Goose中、「行いを正して早く職につかないと、取り返しのつかないことになるよ」と、諭す、サーカスの見世物のひげ女。哀しくも可笑しく、たわいなくも、邪悪である。
 曲間、イアンの旧友、Jeffrey hammond Hammond(ジェフリー ハモンド ハモンド:bass)による、天気予報。穏やかな口調でそれは始まるが、徐々に興奮し、最後には狂ったように「明日は嵐に洪水、地震と台風も予想されますっ!…(静かな口調で)ですから、どうぞコートはお忘れなく」。片方の舞台袖には「何一つ重要な事は喋っていないので訳す必要はありません」と、大書したカードを、コートを着て、帽子で顔を隠した男が掲げている。風の音の響く中、大曲Thick as a Brickは、中盤から後半へ向かう。その間、かつての名曲が目白押しとなって演奏され、要所要所に現れる。
Barriemore Barlow(バリーモアバーロウ:Drums)と、Martin Barre(マーティンバー:guitar)が、突然しつらえられたキャンプ用のテントの中に入り、テントを揺らしながら暴れている、と思ったら、服の上下を分け合い、手はお互いの股間の中に入れて、はにかみながらテントから出てくる。
アンコールは、Aqualung中の名曲Wind Up。一瞬も目を離すことの出来ないコンサートも終わりを告げるのだが、それは、私の頭の中に、体の中に薄らぐ事のない記憶として、40年近くを経過した今となっても、色濃く残り、自分の人生で、最も重要な体験だった事が、揺ぎ無く感じられる出来事として、少しもその印象を減じる事がないのだ。

:::::: and the last hymn were sung , and Devil cries More! from a Passion Play by Ian Anderson

足立 宗亮(足立兄弟) 2/16は神楽に出演@大泉学園InF