オンド マルトノ、チェロ、ギターによるトリオ「神楽」

オンド マルトノ・・・この聴きなれない名前の楽器は、80年ほど前のフランスで、あるチェリストによって作られた。発信機が一つだけある鍵盤を操る指にはポルタメントや、ヴァイブレーションを司る、糸の張られたリングが嵌められ、かたわらに並べられた、一見、骨董家具のたたずまいを持つ専用の3つのスピーカー内部には、銅鑼が仕込まれ、弦が張られ、独特の倍音を奏でる。拡声の機構すら、手探り、試行錯誤から類型の無い楽器、音色、そして音楽そのものを生み出すための比類の無い努力がはらわれている。
その楽器の世界的な第一人者、原田 節(はらだ たかし)も、また、'60〜'70年代のポップ、ロックの洗礼を受けた一人で、メロトロンやハモンドの音色にセットされた他の鍵盤楽器からは、EL & P、YES、King Crimsonのフレーズが、隙を見ては、ほとばしり出る。旧い知己である足立宗亮(足立兄弟、AUSIA)と'06年に再会し、奇しくもその週の内に出会ったチェリスト星 衛(ほし まもる)も、新しい音楽を作り出す事に大きな情熱と飢餓感を抱いていた。アフリカジンバブエで生まれ、ドイツで少年期を過ごし、ザ ビートルズに始まる英米の文化革命とも言うべき時期が傍らを通り過ぎる足音にさえ気付く事無く、ひたすら、文学と古典音楽に身を投じていた。しかし、その後、カデンツァ(古典音楽で言う即興部分)でさえ、譜面に書かれた物を弾くことを余儀なくされた現在のクラシック音楽世界に背を向け、自由な音楽表現の扉を開けたところだった。足立の頭の中にスパークと共に結び付いたトリオが、始動するのに時間は掛からなかった。原田は長い時間封印してきたロックを、足立は既存の2バンドで出しえなかった色を、星は、自身のうちに溜め込んだマグマのような表現欲求を、この集団にぶつけ、爆発、開花させ、はびこらせる。(足立宗亮)
メンバー

神楽は、2006年9月23日に大泉学園In Fにて初ライブを行い、手応えを感じた3人のメンバーにより活動中。2/11のライブは、都合により原田 節はオンド マルトノではなくピアノともしかしたらB3オルガンを演奏します。